春がやってくる

桜のつぼみが 膨らんできた。

春がやってくる。

春がやってくる。

 

やってくるのに母はいない。

 

今日の午後車を運転しながら

「春が来たでー。もうすぐさくら!

今年も桜の季節がきたなー!

一緒に桜をまた見られる。

これが 幸せっていうんやなー」

と、車いすごと母を乗せて運転中

毎年春が来るたびにかけていた言葉を

言ってみた。

もう、いないのに。

 

 

 

留学

英語は、学科ではない。

 

英語は、その言葉を母国語とする人同士が、共に語り、

怒り・喜び・発見を伝えるために使われる「言葉」だ。

その言葉を知っている事が、母の余命を変えた。

英語文献を漁り、手術方法からリハビリ、果ては

アメリカのリハビリの治験に参加させる可能性まで

探る事が出来たのは、この言葉を知っていたからだった。

 

留学をしていた頃に得たすべての知識が、力となった事

これこそが私の得たものだ。

何もしないという事

何もしないでいるという事が

これ程大切なことだとは思わなかった。

 

母と共に生きていた頃、

日々、次にせねばならぬ事に頭が占められていた。

10;30には声をかけ起こし、

起きそうならばストレッチ、

その後、トイレに座らせ

着替えをし、ハンドウォシュレットで陰部を刺激

自力排尿を促す。

その後、もう一度ベッドに横たえて

導尿で残尿を排出。

再び体を起こして座らせ、スリッパをつけ

体重を計測、台所に共に歩いて行く。

そして、うがい。

キャップ一杯のマウスウォッシュを水で希釈、

歯ブラシを濡らして、残った歯を磨き

舌ブラシもぬらして、舌をきれいに。

その後うがい。

その間に 濡れたタオルを作ってレンジで温め

顔を拭く。

意識がある限りは、一度手のひらにタオルを置いてやり

顔に当てる手伝いをする。

自分の手が動かないときは、こちらがタオルの端を持って

顔拭きを誘導、最後の仕上げはこちらが行う。

それから入歯を挿入。

台所からテーブルの椅子の方に連れて行き

車いすから立たせて、横歩きをして座らせる。

コーヒーを淹れ、

「おさとういくつ?」

ミルクも入れて 口に持っていく。

「はぁ~おいしい」

その一言で、朝の準備の一時間は報われる。

 

それから朝食を食べ始める。

12:30には理学療法士が来る。

がんばって!

 

・・・・

続きはまた今度にして、

とにかく12年は、体調を見ながら日常を創り上げていくことに

熱中した。

今、すべてが終わり 「しなくてはいけない事」を

すべて失った。

そして、退屈が襲ってくる。

ちょうどよい。

どっちみち何もしたくないのだから。

 

と、半年を過ごした。

午後には週に3~4日東山に登り散策。

身体を動かして、自然の中に潜り込んでいくこの日常が

とても心地よい。

ふと、母の記憶がよみがえり

たまらない寂しさを感じる。

そんな瞬間、必ず 風が木々を揺らし音を立て

もしくは、鳥が鳴きながら頭の上を通り過ぎ、

雨の後だと、雫の音が どこかで聞こえ、

歩いていると、足を運ぶたびに

枯れ葉が がさがさと 話しかけてきてくれる。

森の中は 星の数ほどの命が私を取り囲んでくれる。

そして、母が

「いつまでも、うじうじと 辛気臭いな。

あんたには合わへんで」

と、鼻で笑う。

そうしたら、アタシは元気を取り戻して

明るい姿を かーちゃんに見せようと

頑張る。

疲れて帰宅。

退屈を満喫。

猫とこたつで昼寝をする。

起きてきて、PCでゲームをする。

眠くなるまでネットサーフィン。

そして・・・・

 

最近退屈に飽きてきた。

そうしたら、その退屈をなんとかまぎらせようと

何かをしたくなってきた。

かーちゃん、

アタシは元気に生きて行くよ。

 

 

自分の命は自分のもの。

 

そうなんだろうなと思う。

「自分のものだ」と言える場合は・・・。

 

自分のものだと言えない状況下にある場合

それでも心臓が動いている場合

それは自分のものではない。

まわりにいる者のものになる。

その「自分」を記憶の中に刻んでいる周りの者の物に。

 

周りの者が、記憶の中の人物を

失いたくない、

もし、そう思ったなら その命は

その周りの者のために生かされることとなる。

自分が望むと望まざるにかかわらず。

その逆もまた同じ。

周りの者が、失う事をいとわない場合

その命は捨て去られる。

当人が望むと望まざるにかかわらず。

 

 

 

 

半年以上が過ぎた。

母不在の日常を、今日も生きた。

何かが欠落したままだけれど

何が欠落したのか、今もって 全く分からない。

 

仕事でもしてみるか。

そう思って、履歴書一通 送ってみる。

スカイプで面談を、と言ってきた。

一応少しばかりましな服を着て、

ばかばかしくもスカイプに向かう。

 

キャリアを積んできましたよ。

そんな風な若い女性が、早口で

語りかけてくる。

 

ばかばかしく、質問に真面目に答える気さえおこらない。

 

何なのだろうか、この退屈な日常は。。。

 

反社会的な人は ニュースにたくさん出てくるが

脱社会的な人も たくさんいるのだろうか…

 

 

 

仕事など全くしたくない。

何もせず、時間を「潰す」事に明け暮れたい。

 

 

そしてアタシは、母のいない世界に放り出された。

6月30日6時32分、母が息を引き取り 12年半に及ぶ

母との共有時間(人はそれを「介護」というが

アタシは介護した記憶はない)は終わった。

 

あれから一か月が過ぎた。

母のいない世界に生まれて、たった一か月。

赤ちゃんだ。

どうやって毎日を過ごしてよいのか。

これから一つ一つ、学んでいかなくてはいけない。