何もしないという事

何もしないでいるという事が

これ程大切なことだとは思わなかった。

 

母と共に生きていた頃、

日々、次にせねばならぬ事に頭が占められていた。

10;30には声をかけ起こし、

起きそうならばストレッチ、

その後、トイレに座らせ

着替えをし、ハンドウォシュレットで陰部を刺激

自力排尿を促す。

その後、もう一度ベッドに横たえて

導尿で残尿を排出。

再び体を起こして座らせ、スリッパをつけ

体重を計測、台所に共に歩いて行く。

そして、うがい。

キャップ一杯のマウスウォッシュを水で希釈、

歯ブラシを濡らして、残った歯を磨き

舌ブラシもぬらして、舌をきれいに。

その後うがい。

その間に 濡れたタオルを作ってレンジで温め

顔を拭く。

意識がある限りは、一度手のひらにタオルを置いてやり

顔に当てる手伝いをする。

自分の手が動かないときは、こちらがタオルの端を持って

顔拭きを誘導、最後の仕上げはこちらが行う。

それから入歯を挿入。

台所からテーブルの椅子の方に連れて行き

車いすから立たせて、横歩きをして座らせる。

コーヒーを淹れ、

「おさとういくつ?」

ミルクも入れて 口に持っていく。

「はぁ~おいしい」

その一言で、朝の準備の一時間は報われる。

 

それから朝食を食べ始める。

12:30には理学療法士が来る。

がんばって!

 

・・・・

続きはまた今度にして、

とにかく12年は、体調を見ながら日常を創り上げていくことに

熱中した。

今、すべてが終わり 「しなくてはいけない事」を

すべて失った。

そして、退屈が襲ってくる。

ちょうどよい。

どっちみち何もしたくないのだから。

 

と、半年を過ごした。

午後には週に3~4日東山に登り散策。

身体を動かして、自然の中に潜り込んでいくこの日常が

とても心地よい。

ふと、母の記憶がよみがえり

たまらない寂しさを感じる。

そんな瞬間、必ず 風が木々を揺らし音を立て

もしくは、鳥が鳴きながら頭の上を通り過ぎ、

雨の後だと、雫の音が どこかで聞こえ、

歩いていると、足を運ぶたびに

枯れ葉が がさがさと 話しかけてきてくれる。

森の中は 星の数ほどの命が私を取り囲んでくれる。

そして、母が

「いつまでも、うじうじと 辛気臭いな。

あんたには合わへんで」

と、鼻で笑う。

そうしたら、アタシは元気を取り戻して

明るい姿を かーちゃんに見せようと

頑張る。

疲れて帰宅。

退屈を満喫。

猫とこたつで昼寝をする。

起きてきて、PCでゲームをする。

眠くなるまでネットサーフィン。

そして・・・・

 

最近退屈に飽きてきた。

そうしたら、その退屈をなんとかまぎらせようと

何かをしたくなってきた。

かーちゃん、

アタシは元気に生きて行くよ。